文典家パタンジャリが編纂したとされるヨーガ・スートラ
ヨーガの定義「ヨーガハ・チッタ・ビリッティ・ニローダハ」
「ヨーガとは個人意識における動きの静止である」
「ヨーガとは心の働きを止滅するものである」と翻訳される。
簡潔ではあるがヨーガ・スートラ、ヴェーダーンタ、サーンキャ(数論)哲学やギーターなどを学んでいるヨーガ実践者や研究者以外にとってはとても難解であり意味不明とも言える。
ということでここからは私自身の言葉を使ってヨーガを解説してみたいと思う。
ヨーガやそれらの哲学に馴染みのない方にでもヨーガが理解できるように専門的な単語の使用は控えたい。
またここで伝えることはあくまでも私自身が考えるヨーガのアウトラインでしかない。
詳しくは、ヨーガ・スートラ、ギーター等の書物で学ぶことをおすすめする。
さて、ヨーガを一言で表現するのであれば、まさに「生き方」と言えるのではないだろうか。
これは私だけに限ったことではなくヨーガを長年続けている実践者も同じように答えるのはずであろう。
ただし、この表現もあまりに漠然としていてヨーガを初めたばかりの人には分かりづらいかもしれない。
一般的にヨーガを言及するとき、ほとんど場合は曲芸的なポーズ、お洒落なヨーガスタジオを連想する方が多いと思う。
例えば「私、ヨーガを始めたの」=ヨーガ・スタジオでのプラクティス
これは間違いではないしアサナがヨーガの一部である以上否定されるものではない。
そして何より人それぞれにヨーガがあり求めているものが違うことを理解しなければいけない。
いつの時代でも新しいものは批判にさらされることがしばしばある。
これはヨーガに限ったことではない。また長い歴史を持つものであれば尚更だろう。
新しいものが生まれては消え、また浮いては沈みゆく。
そしてそれらは時間ともに淘汰され本物だけが次の時代の日の目をみるのだ。
少し話が逸脱したので本線に戻そう。
仮にヨーガがマットの上で行う奇妙なポーズだけの実践であったとしても、ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戎)を学習し実践すればヨーガがマットの上だけの限定的なものから日常に深く根を下ろすスタイル(生き方)に変わっていくはずだ。
また呼吸を少し意識して生活するだけで心身が健やかになる。
ここで言及している呼吸とはウジャイなどの特別な呼吸法ではなく気づいたときに深く長い呼吸をする程度のもの。呼吸を整えることで感情の昂りを抑制する効果がある。
「はい、深呼吸をしましょう」、よく聞くフレーズである。
この深呼吸はとても意味のあるものなのです。
人は飲まず食わずでも数日は生きれるが酸素の供給が数分ストップしただけで低酸素症に陥り死亡してしまう。
極端な話だが呼吸をするということは生命の維持に必要不可欠であるにもかかわらず意識している人がほとんどいないのが現状ではないのであろうか。
私にとってヨーガとは
「生き方」であり
体、呼吸、そして心の躾である
自分自身を躾けることこそがヨーガであり、その遙か先にどんな状況においてもブレない影響されない心の状態、つまり「心の働きの止滅」があるのではないのか。
またヨーガを継続することで外側に向いていた知識と意識が内側に向かい自分自身のちょっとした変化に気づくようになる。これは心身の健康を維持するのにはとても有効だと言える。
心身の健康と美しさを保つには自分の意識を変えて継続するしか道はない。
本物は一日にして手に入らないのだ。
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